7/07/2016
どうしたらいいかわからん
僕は今真っ白なシェアハウスに住んでいる。床はグレーのタイル張りで、便利なシステムキッチン付き、ベランダは椅子を五個も置けるぐらいに広くて駐車場は自動開閉機能付きだ。僕ら日本人以外の住人達は皆韓国人で、控えめで優しく、この家での生活は静かで、便利で、淡々としており、絶望的に退屈だ。
二週間程前に、ほとんど金が無い状態でこの街に辿り着いた。十分な金が稼げないバンダバーグに見切りをつけ、仕事を求めて北に向かうロードトリップを始めた僕らは、主要な街で仕事があるか聞いて回りながら北上した。今年は作物の出来が悪く、冬が迫っている事も在り、仕事は簡単には見つけられなかった。仕方なしに北上を続け、三週間もノーザンテリトリーを放浪し、結局東海岸に戻って来てしまった。旅をしている時は、現実に起こる出来事も僕の精神面もアップダウンが激しかった。感動、落胆、歓喜、自己嫌悪、活力、怠惰、一切景色が変わらないアウトバックを走っている時でさえ、頭の中だけはジェットコースターの様な状態だった。
何より忘れがたいのは、旅の最初に行ったブッシュパーティーで、過去最高に実在そのものである事を経験した事、全てはただ起きている、という事実を一切の思考を介さずに受け入れる体験をした事だ。それは本当に、空であり、諸行無常であり、今ここにある事であり、完璧で、無限で、一切の意味が無く、幾重にも重なった錯覚の最下層、根源、0、創造の最先端、僕が目指していた認識のある場所だった。目の前に展開する非現実空間の中で、僕は追い求めていた経験と、また新たに僕を縛り付ける事になる観念を手に入れた。中身は悲しくなるぐらいに空っぽだ。そしていつものごとく、夜が空けてしまえば感動と興奮は過ぎ去り、現実に対する不思議な感覚、まるで嘘みたいな、、そんな感覚だけが残った。
その後の旅はかなり刺激的だった。まともな食事が出来ない事、シャワーを浴びれない事、毎日テントを張り地面で寝る事、何処までも続く道、広大な空、雄大な自然、人に助けられ、騙され、嘘をついたり、禁欲的であったり、逃げ出したり、とにかくごちゃごちゃだった。ガンジャはいつも向こうから僕に寄ってきた。三週間以上を僕は600ドル弱の金額で生活した。甘ったれた僕の人生の中では、上出来だ。自分が狡猾さを智慧と勘違いしていた事を知った。孤独を欲しがりながら、猛烈に孤独を恐れていた。
仕事を選んでいる余裕が無くなった僕らは、この街に来て仕事を手に入れた。何の面白みも無い上に、発展性も無いだろう農場仕事だ。ここで生活しながら、一度立ち止まって体勢を整えよう、と思っていた矢先、僕の全てのデータを管理していたハードディスクが壊れた。音楽も、写真も、文章も、今まで積み上げて来た物が、僕を僕たらしめていた物が、一瞬で無くなった。あぁ、終わったと思った。写真が無ければブログが書けない。今までさぼっていたせいで半年も遅れていた僕のブログだが、残念な事に書きたい記事がまだかなりあった。同時にもう半分の僕は、落ち込んでは居ない。むしろ良かったとさえ思っている。0になったじゃないか、ほらもうどうしようもなく、何も無いじゃないか。あるのは僕と、退屈な生活。最高にシンプル!よかった!
リラックス出来ない原因は何だろうか、このいつも心の中にある感覚、はっきりとした身体感覚だ。胸の内側を手掴みで握られているみたいな。リリーが僕と話しづらそうなのはきっとこいつのせいで、そもそも僕のパッとしない生活全部がこいつのせいだ。どうにかしたい。精神の革命でも神からの啓示でも、イカレてしまう事でも、グルに導かれるでも、アセンションでも、悟りでも非二元でも、方向はどうあれ強い軸、サイケトランスのベース音みたく太っとくて弾力のあるのが必要だ。本を読んで少し気分が上がったり、希望を抱いたりしてもどうせすぐ冷めて、いつものループを繰り返すハメになる。情熱とか歓喜とか無我夢中とかそういう所に、浸りきりたい。オーストラリアに来て10ヶ月が経過した僕は今までどおり怠惰で、気分屋で、言いようの無い不安と罪悪感をたまに見える希望で押さえ込んでいる。
とにかく今、どうすればいいのか、どう在ればいいのか分からず、毎日なんとか思考から離れる事に必死になってる。
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