11/26/2015

シェアハウスという不思議な環境

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オーストラリアに到着した僕は、数日をバックパッカーズ(ドミトリースタイルのホテル)で過ごしていた。しかし、物価の高いオーストラリアにおいて、いくらバックパッカー用の安宿と言えど、乏しい資金で渡豪してきた僕にはホテルの宿泊費は高すぎた。

ワーキングホリデーでオーストラリアに来ている人間にとって主流の形はシェアハウスに住む事だ。アパートや一軒家を数人でシェアして生活する形で、家賃もホテルに泊まるよりは安く抑えられる。

バックパッカーズの宿泊費を払う事に限界を感じた僕はシェアハウスを探し始めた。
まだ来たばかりだから、家賃が安いから、情報を集める必要があるから、そんな言い訳を自分にして、日本人がオーナーを務め、日本人ばかりが住んでいるシェアハウスに焦点を絞って探した。海外の人間と触れ合う事で国際感覚を身につけるはずが、気づけば僕は言葉が満足に通じる安心感を求めていた。

ネットで見つけた数人のオーナーに連絡し、一番早く返答があったシェアハウスに住む事に決めた。
その家は僕の認めたく無い欲求どうりに、住人は日本人ばかりで、英語を使う必要が一切無い、言ってしまえば程よい温度のぬるま湯だった。
しかし、僕を含めた日本人計七人が住むその家は国際感覚こそ磨かれないが、いくつかの新鮮な体験を与えてくれた。

シェアハウスは不思議な空間だ。
日本で普通に生活していれば、出会ったとしても絶対に友達になる事は無い様な全くタイプの違う人間達が、生活を共にし、自動的に家族化させられていく。
仲のいい友人同士で一緒に住むのとは訳が違う、新鮮な体験だ。

最初は遠慮がちに触れ合っていても、自分の部屋が無い同じ家で寝食を共にしていくうちに壁が無くなり、いつしか家族の様になっていく。
そもそも、一人で生活している期間が長い僕からすると、家に自分以外の誰かが居る事自体が異常事態だ。

それを一番意識させられたのが、音だった。
誰かが洗濯機を回している。誰かがコーヒーを湧かしている、いびきをかいている、誰かが電話で話している、朝鳴るアラームの音、シャワーがお湯を吐き出す音、誰かがかける音楽、足音、今まで自分が出す音のみだった僕の生活空間が急に様々な音で彩られた。

それは不快で、ストレスで、同時に癒しで安心だった。
一人になりたい時、静かに過ごしたい時、集中したい時、同居人達の存在を煩わしく感じる。寂しい時、誰かと話したい時、落ち込んでいる時、いい気分を分かち合いたい時、彼らは僕を癒してくれる。

そして結果的に、時間は何もかもが違う僕らの境界を薄くし、一つ屋根の下で暮らす事が当たり前になっていった。

「おかえり」、「ただいま」僕にとって当たり前じゃなかったやり取りが自然なものになった。
誰かの誕生日を祝う、皆で酒を飲む、皆で料理をする、あいつに朝起こしてもらう、あいつを朝起こしてやる、あいつとあいつが恋に落ちた、あいつが落ちこんでいる。
仲のいい友人以外はどうでもよかった他人の人生の出来事が、僕にとっての出来事になり、僕の人生に起きる出来事が彼らに共有される。

遊ぶのが好きでジャンクな僕と、一日中勉強しているあいつが、ベランダで星を見ながら人生を語り合う。
浪費家の僕と倹約家のあいつが一緒に買い物に出かけて同じ物を買う。
女好きな僕と男性不振のあの子が一緒に夕飯を作る。
まだ若いあいつと僕が意見をぶつけ合う。

人間の親密度は会う回数に起因する。いつか本で読んだ事が完全に腑に落ちた。

あり得ない確率で出会った、年齢も出身も、バックボーンも、趣味も、とにかく何もかもが違う僕らが家族同然になった。
この経験を経て僕の中で確信に変わった事が在る。
人生に訪れる出会いは必然だ。確実に出会うべくして出会っている。それが例えどんなに気に食わない奴でも、どんなに自分と合わなそうな奴でも。

出会いと人間関係の不思議を感じながら、今日も僕はあいつのいびきをBGMに眠りにつく。

















11/25/2015

その男狂人につき

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元AK69の相方で名古屋が生んだ天才、B-NINJAHが5年の服役を終えシーンに復活した。
僕は一度だけ、PV撮影の手伝いをさせてもらった時に会った事が在る。
噂どうりにぶっ飛んでいて、イケイケで、根っからの不良だったけど、誰にでも対等に接する姿勢が印象的だった。
そんな彼がフルアルバムをリリースして、その中から「人生」という曲のPVが公開されたので紹介↓


この歌に何度励まされただろうか。自分の人生に挑戦する姿勢とそのかっこよさを教えてもらった。そして何より嬉しいのは、PVの監督を僕の友人が務めた事だ。
本当に良い曲だし、映像も最高。皆に見てほしい。

僕も落ち込んだ夜はブコウスキーを読んでいる。


広い空と国際交流

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バンコク最終日のアシッドトリップの興奮冷め止まぬまま、9月4日、朝7時、僕はオーストラリアのゴールドコーストに到着した。到着ゲートを通り、預けた荷物を待っていると、周りには様々な人種の人間達が行き来している。

オーストラリアは移民の国だ。
各国からワーキングホリデーをしに若者達が集まって来ている。僕がここに来た目的は今後の旅の資金を稼ぐ事、強烈な経験を積んで表現をする事だ。
オーストラリアは労働に対する賃金が高い事で有名だし、これだけの人種が入り乱れている国ならば僕の目的にはうってつけだ。

希望と少しの不安を抱えて空港の外に出ると、今まで見た中で一番広い空が広がっていた。何処までも続いている青くて広い空。さわやかな気候と行き交う異国の人達が僕の気分を高揚させる。
まずは街に出ないといけない。僕は空港から出ているバスでゴールドコーストの中心地、サーファーズパラダイスに向かった。

車内は僕と白人女性の二人組だけだった。お互い大きなバックパックを背負っている。
同類のシンパシーか、彼女達が僕に微笑んできた。

「あなたもワーホリ?私たちはスウェーデンから来たの。オーストラリアってとっても気持ちいいわね!」

僕らは自己紹介しあい、今から始まるこの国での生活への希望を共有した。
昨日までいたバンコクとは全く違う町並みが広がり、車窓からは海が見える、僕の鼻を塩の匂いがかすめる。視界の奥の方には高層ビルが建ち並んでいて、まるでロサンゼルスみたいだ。

世界はこんなにも広いじゃないか。
僕が知らない事、知るべき事はまだまだある。それだけで生きていく理由には十分だ。

3人で談笑しているとバスが止まり、最終地点だと告げられた。
ここからはトラム(路面電車)に乗って街の中心まで行く。彼女達にどうするのか訪ねると、宿を予約しているらしく、全く予定の無かった僕も着いていく事にした。

サーファーズパラダイスの駅で降り、3人で宿に向かった。僕らが向かった宿は街の中心にあるバックパッカー(ドミトリースタイルの安宿)で、僕と同じ様な格好でバックパックを背負った連中が受付をしている。当たり前だが部屋は男女別で、ここで彼女達とはお別れだ。再会を約束して彼女達と別れ、僕は教えられた部屋に向かった。

部屋のドアを開けると爆音でヒップホップがかかっていて、上半身裸の白人の男がビールを飲みながらピザをほうばっていた。狭い部屋に大きな二段ベットが二つ、窓の向こうにはサーファーズパラダイスの街が見える。まるで映画を見ている様な光景に見入っていると室内に居た男が話しかけてきた。

「よぉ、お前もこの部屋か?俺も今着いたばっかなんだ。俺はルーク、ロンドン出身だ。お前はジャパンだろ?俺はアジア人の顔の違いを分かってるんだ。お前はどう見てもジャパンだ。てゆうかこのピザめちゃくちゃ上手いぜ。食うか?」

ルークは僕のイメージするロンドンボーイそのままの奴で、早口でまくしたてる様に話し、僕が話を理解しているかなんておかまいなしにどんどん話をしてくる。都会っぽい洗練された空気を持っているのに、なぜかスーツケースを2つ持っていて、片方にはスニーカーが10足ほどパンパンに詰め込まれていた。

「俺は靴がめちゃくちゃ好きなんだ。だって小さい車みたいだろ?毎日気分で靴を変えたいんだよ。今日はベンツ、明日はフェラーリみたいな感じでさ。あー、そうだ、今日夜このバッパーの奴らでBBQやるから暇なら来いよ?女もいっぱい来るから。」

こいつには人見知りって概念がないのか?そう思いながらも、初対面でこれだけ砕けた対応をされると僕も気を使わなくて済むし、ルークが同室で良かったと思った。
二人でビールを飲みながら話していると、部屋のドアが開き、白人とアジア人の二人が入ってきた。

ビールを飲んでいた事もあり、少しだけ心の壁が薄くなっていた僕は陽気に彼らと挨拶を交わした。ルークは僕が来たときと全く同じ様子で、またアジア人の顔を見分けられる事を誇らしげに話した。

白人の方はカナダ出身で、チャンスという縁起のいい名前の男だった。岩の様な大きな体、それに似つかわしく無い大きな目が印象的で、優しそうな雰囲気がにじみ出ている。
アジア人の方は韓国出身で名前はミンソク、真面目そうな見た目で、とても幼く見える、多分僕よりかなり若そうだ。出身地を聞かれると、何処だと思う?と聞き返すのが印象的だった。

「よし、これで今日のこの部屋のメンバーはそろったみたいだな。とりあえず一期一会に乾杯しようぜ。」

ルークは早くも僕らのムードメーカーになっていた。僕らはビールを飲みながら、何故オーストラリアに来たのかとか、それぞれの国についてとか、他愛も無い話で盛り上がった。ルークとチャンスは英語がネイティブだし、ミンソクは一年半オーストラリアにいるせいでかなり英語を身につけている。彼らの会話はとても早く、僕は五割も理解できなかった。

一時間ほど経った頃、用事があると言ってルークが出かけていった。
残った僕ら三人は街を見て回る事にした。観光地だけあって街は人で溢れかえっていて、名前のとうりサーフボードやスケボーを抱えた若者達がたくさん居る。
三人で海に向かった。白い砂浜に青い海、広い空、僕は赤道を超え外国にやって来たんだ。そしてこれからしばらくここで生活していく。見慣れない景色が何度も僕にそれを意識させる。

「ついにオーストラリアに来ちゃったな。俺は国でやってた仕事に嫌気がさしちゃって逃げる様に出てきたんだよ。ここでしばらくゆっくり生活して、自分が何がしたいのか考えようと思っているんだ。」

チャンスが大きな目を細めながらつぶやく様に話した。
ミンソクが微笑みながら相づちを打っている。

僕らはほとんど言葉を発さず、たまに誰かがぼそっとつぶやく事に耳を傾け、ひたすらに海を見ていた。日が沈み、僕らは部屋に帰った。

部屋でだらだら過ごしていると、ほとんど話さなかったミンソクがクラブに行ってみたいと言い出した。彼はまだ一度もクラブに行った事がないらしい。どんなところか見てみたい、ミンソクの目は好奇心に満ちていた。

ルークに誘われていた事も思い出したけど、オーストラリア初日の夜にクラブで遊ぶのも悪く無いと思い、三人でクラブに行く事にした。
僕らは街で一番大きなクラブに向かった。早い時間にも関わらず、エントランスには数十人が並んでいた。セキュリティーにパスポートを提示し、中に入ると、数年前に流行った曲がかかっていて、人でパンパンのフロアは大盛り上がりしていた。
六本木にいる外国人達みたいだ。彼らは大きな音ならなんでもいいんだろうか?

隣を見るとミンソクが緊張した様子で熱狂しているフロアを見つめている。
僕は二人に声をかけ、バーカウンターで酒を買った。せっかくのオーストラリア初日の夜をつまらない思い出で飾る訳にはいかない、そう思った僕はがんがん酒を飲んだ。
チャンスもミンソクも同じ様に感じたのかハイペースで飲んでいる。
こういう時は無理矢理にでも飲んで、出来るだけ楽しんで帰るのがベストだ。僕はフロアで踊り狂った。
チャンスは早くも泥酔していて、片っ端から女に声をかけている。
ミンソクは未だに緊張した様子で、フロアの壁に寄りかかって携帯の画面を見つめていた。僕はミンソクに声をかけ、なんでも良いから音楽に乗って、とりあえず楽しむ様に伝えた。

二時間ほど経ち、ずっと踊っていた僕は汗まみれだった。いつの間にかはぐれた二人を捜すと、チャンスはまだ女を捕まえる事が出来ず、声をかけては逃げられるのを繰り返していた。ミンソクは何処だろうか?

クラブ内を見渡して彼を捜すと、お立ち台で頭を振り乱して狂った様に踊っているミンソクを見つけた。

「ありがとうエソン、君のアドバイスを聞いてから勇気を出して踊ってみたらめちゃくちゃ楽しいよ。クラブがこんなに楽しいとは思わなかったよ。」

とにかく彼が楽しそうで良かった。
僕はもう相当に酔っていた。頭が重く、視界がぼやけている。時間は三時を廻っていた。
僕は二人に先に帰る事を伝え、一人宿に向かった。
千鳥足でなんとか部屋にたどり着き、ドアを開けると、ベッドがきしむ音が聞こえた。
真っ暗な部屋の中に目を凝らすと、ベッドの上でルークが腰を振っていた。
ルークが僕に気づき振り返った。

「あぁ、帰って来たのか、朝まで帰らないと思ってたよ。悪いな、彼女はジェシカだ。」

ルークの下で裸の女が僕に笑顔を向けている。今の今までセックスしていた奴が初対面の人間にこんな笑顔を向けられるのか?こいつらの反応は全てが間違っている。そう思ったけど泥酔していた僕は今すぐに眠りたかった。ルークに寝る事を伝え、自分のベッドで横になった。目をつぶり、夢の世界に向かおうとすると、ルークが話しかけて来た。

「エソン!お前も来いよ。三人で楽しもうぜ。俺はイギリス、彼女はアメリカ、お前はジャパン、国際交流は平和の第一歩だろ?こういう所から世界は変わっていくんだよ!」

ルークは本気だった。ジェシカも変わらぬ笑顔で微笑んでいる。

僕は笑いながら中指を立て、イヤホンを耳にはめて目をつむった。

世界には色んな奴が居る。僕は一体どんな奴なんだろうか?
刺激的なオーストラリア初日は視界の端にセックスのシルエットを感じながら終わっていった。






















11/18/2015

本物〜ジョンバトラー〜

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最近知って衝撃を受けた動画。




オーストラリアを代表するギタリスト、ジョン.バトラーの代表曲「OCEAN」のスタジオライブ。たった一人でこの演奏は圧巻。ストリートミュージシャン時代から演奏している曲らしく、インストのみで彼の人生や感情、全てを表現しているように感じる。これは完全に本物。
チルタイムのお供に。

楽園と智慧の輪

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楽園での数日はあっという間に過ぎていき、気づけば明日オーストラリアに向けて出発という日になっていた。
この数日は住人達とひたすらにハイになって楽園に引きこもって過ごした。
人間の慣れる能力は凄まじく、最初違和感を感じた住人達にも慣れ、僕も自然に輪に加われる様になっていた。
しかしT氏とは未だに打ち解ける事が出来ず、僕に対する態度だけが固かった。

ハンモックでぼけっとしてるとワタルが話しかけてきた。

「エソン君、Tさんアシッドもいけるみたいですけど、今日一緒にやらないすか?」

胸が高鳴った。ワタルはいつも僕に刺激を運んでくる。
でも今、僕は精神的に安定しているとは言えない。こういう時は危ない事は分かっている。どうするべきか。

しばらく迷った末に、このタイミングで自分を見つめる力を借りる事にした。
選択を迫られた時はヤバそうな方を選ぶ。日本を出た時に僕が自分に課したルールだ。
僕たちはT氏に頼みに行く事にした。

T氏は縁側でいつものヒッピースタイルでジョイントを吸っていた。
T氏に対する苦手意識のせいか近づくだけで胸の辺りが締め付けられる感じがする。

ワタルがT氏に頼んでいる。
T氏がワタルの胸の辺りをこづいて笑っている。お前は本当に馬鹿だな。そう言っているみたいだ。

T氏の視線が2人から少し離れていた僕の方に向いてきた。
「君もやるの?大丈夫?ちょっと心配だなぁ。」

僕の弱さが、安定していない事が見抜かれているのか。
弱い奴だと思われた事が僕の自尊心を傷つける。見抜かれている気がするってのは本当に気分が悪い。心の声を聞かれているようで、怒り、羞恥心、不安、様々な感情が入り交じり何を感じているのか分からなくなりそうだ。

T氏があの目線で僕の目を見つめてくる。目を合わせていられなくて避けてしまった。
蛇に睨まれたカエルの気分だ。

「Tさん、この人大丈夫っすよ。俺より全然慣れてるし。」
ワタルの根拠の無いフォローが入り、なんとか二人分を売ってもらえる事になった。

いつもならトリップする前は期待で胸がいっぱいなのに、この日はT氏に言われた事が頭に残り、バッドトリップするんじゃないかと不安を感じていた。

LSDのバッドトリップは地獄だ。見るのを避けていた自分の嫌な部分を強烈に見せつけられる。巡る思考は自尊心を傷つけ、自己嫌悪が胸を刺す。思い出すだけで吐き気がしてくる様なあの世界を、明日出発のタイミングで見せられたら僕は旅立てなくなるんじゃないか。不安は徐々に大きくなり部屋一杯に広がって行った。

一人部屋にこもり、少しでも心を整えようと格闘していた。
大丈夫だ。今、目の前に現れたって事はやるべき時だって事だ。何を見せられても僕は自分を見失う事は無い。今までもそうだったし、これからもきっとそうだ。

日が沈み、僕らはリビングでくつろいでいた。
スピーカーから流れるサイケは等間隔にリズムを刻み、これから始まるトリップのオープニングを告げているようだ。

「じゃあいきますか。一人二滴ずつ入ってます。」

ワタルが栄養ドリンクの小瓶を渡してきた。僕は小瓶を受け取り、ワタルと乾杯して一気に飲み干した。あと30分もすれば、現実が崩壊し始める。
ざわつく心を落ち着ける為、ジョイントに火を着けた。


ワタルとジョイントを回しながらまどろんでいると、少しずつそわそわし始めた。
脳の細胞が活発に動き始め、知覚の扉の重いドアがゆっくりと開く。
スピーカーからはスティービーワンダーが流れている、まるで僕の耳元で歌っている様に。

トイレに行き鏡を見ると、いつも見ている自分の顔が初めて見る他人の顔のようだ。嬉しいのか、悲しいのか、健康なのか、不健康なのか分からない、ただ一人の男が僕を見ている。
楽園はアシッドトリップには最高の環境だった。庭の植物達は、昼まで風景の一部だったのが嘘の様に存在感を示している。ただでさえ異世界のこの空間が歪んでいき、更なる異世界に僕たちを誘う。

ワタルが興奮した様子で話しかけてくる。
「ヤバいっすね。やっぱりエソン君をここに誘って正解だったっす。てゆうか多分最初から決まってた事なんですよ。あぁ、ヤバい、もう訳分かんなくなってきました。とりあえず出会えて本当に良かったです。」

僕の視界の歪みも最高潮に達して、渦巻く思考は高速回転していた。
ぐしゃぐしゃに曲がって行く空間を見ながら、僕は二年前インドで出会ったアントニーの事を思い出していた。

心優しい狂人、今なら彼の言っていた事が分かるかもしれない。
だって今僕が見ている景色は、彼が大切にしていたパレットそのものじゃないか。

様々な色が混ざり合ってマーブル状になっているパレット、僕らが普段見ている景色も正体はこんなものなのかも知れない。
時計を見ると信じられない事に3時間が経過していた。
時計を見た事をきっかけに僕の思考は時間について考え始めた。そもそも時間は僕らが考えだした概念で、本来は存在しない物だ。
そして僕らは’今’しか感じる事が出来ない、今にしか居れない。という事は、過去と未来は実際には存在しない事になる。
未来予想は予想にしか過ぎず、記憶は曖昧な物だ。もし、本当は今しか存在しなくて過去も未来も同時に現在に存在するとしたら、、
もし現実の正体がパレットのような物で、瞬間、瞬間に僕らが見ている様な景色を形作っているだけだとしたら、、

ずっとこの現在に存在できるモノ、現実を形作れるモノ、そいつは「意識」だ。
気づいた時には始まっていた人生の中で、ずっと僕と一緒に在ったモノ、この「意識」の中に全ての答えは隠されているはず。

もし神が存在するとするなら、それは「意識」の事かもしれない。
僕の凡庸な頭が一つの仮説を導きだした時、少し前に見たばかりのはずの朝日が昇りだした。朝の澄んだ空気の中を太陽光が駆け巡る。目に映る全てが輝き、世界が生まれ変わったような姿を見せる。小鳥のさえずる声が、歌の様に聞こえる。

頭がすっきりとして、体の毒素が全て抜けた様な爽快感だ。ワタルは昨夜の体験が余程強烈だったのか、椅子に座って呆然としている。気のせいか目が涙ぐんでいるように見えた。

僕の思考は未だ休まらない。
今度はタイで過ごした一週間について考えていた。この一週間は思い描いていたものとは遠くかけ離れていた。いや、こうなると分かっていた状況が目の前に現れて僕が受け入れられなかっただけかもしれない。寂しくて、他人に受け入れられない自分が恥ずかしくて、何かが不安だった。

希望を抱いて旅に出た。全てを変えたいと思っていた。
一体何をしにすべてを置いて海外に出てきたんだろうか?そうだ、僕はこれを求めていた。孤独を、葛藤を、苦難を、そして今感じているこの歓喜を。
旅に出ようと決めた時に抱いた志を思い出した。世界を肌で感じたい。強烈な体験がしたい。自分を知りたい。人生の探求を終えたい。

そしてソレを表現する。フィルターは何でも良い、アートだ。
そうだったんだ、この数日、旅に出てからずっと落ちていたこの数日、これで良かったんだ。完璧だったんだ。僕はこれを求めていて、そのとおりの体験をしたんだ。
体の中心からわき上がって来るエネルギーが体を震わせる。
僕は自由だ、何にも縛られていない。僕は孤独だ、誰にも縛られていない。
僕は何者でもない、肩書きには縛られていない。

僕を縛り付けていた鎖が、知恵の輪を解く様に少しずつ解けていく。
もう少しだ、もう少しで分かりそうだ。しかしLSDはヒントはくれるが答えは教えてくれない。いつも後少しのところで姿を消してしまう。

幻覚状態の視界は少しずつ正常に戻っていき、思考は落ち着きを取り戻し始めた。
ワタルはいびきをかきながら寝ている。
僕は椅子に深く腰掛けコーヒーを飲みながらジョイントに火を着けた。トリップの疲労感と、バッドトリップしなかった安心感、胸に詰まっていたわだかまりが晴れた事による爽快感、数日ぶりに感じる気持ちの良さを感じていた。

音楽を聴きながら余韻に浸って居るとT氏が起きてきて話しかけてきた。

「おはよう、昨日大丈夫だった?」

僕はいい体験が出来た事を伝えた。僕の心が晴れているからか不思議と居心地の悪さは感じない。むしろT氏と話をしたいと思った。

今までT氏に対して自分から積極的に話しかける事をしてこなかった僕は、聞きたいと思っていた事を質問した。一体T氏はどんな人生を生きてきたのか、何を思ってこの場所を作ったのか、なぜ僕がアシッドトリップする事を心配したのか。

T氏は僕の質問に答えてくれた。昔は旅人で数十カ国を何年もかけて旅した事、ニューヨークで皿洗いのバイトをしながらお金を貯めた事、80年代後半から90年代にかけての世界の様子、帰国したのち日本で事業を立ち上げ経営者として成功していた事、そして数年前に奥さんの死をきっかけにタイに来て、人生をゆっくりと過ごす為にこの場所を作った事。

あれだけ苦手だったT氏に少しだけ親しみを感じた。

「それから昨日心配だって言ったのは、君みたいなタイプを何人も見てきたからだよ。君の意識が内側に向きすぎている事は見てれば分かる。内省的なのは悪い事じゃないけど、そういう人が精神の探求を始めるとド壷にハマって戻って来れなくなる事があるから心配だって言ったんだ。もっと外側に意識を向ける様にしたほうがいいよ。」

60年代、サイケデリックレボリューションのまっただ中に居たヒッピー達はドラッグを使って精神の解放と探求に励んだ。
一部の者は答えにたどり着き、大多数は精神が崩壊するか薬物中毒者になったという。

T氏の話を聞いた後も、僕の高揚感は続いていた。例え戻って来れなくなったとしても構わない。僕は探求がしたくて、ソレを表現したくて旅に出たんだ。思い出した初期衝動は僕を突き動かす。シャワーを浴びて、荷物をまとめた。ワタルと楽園の住人達、T氏に挨拶をして、通りにでてタクシーを拾った。今日から僕はオーストラリアに行く。
また環境が変わり、僕の現実は変わっていく。

結局人生は上手くいく様に出来ている気がする。思い返せば、このタイでの一週間は出来すぎていた。最後にアシッドトリップでまとめをする為にそれまでの出来事が仕組まれていた様な。

とにかく、飛行機に乗り数時間過ごせば僕はオーストラリアだ。
ステージを変えて探求と創作を続けよう。

胸の中心に暖かいものを感じながら、しばらく見る事は無いだろうバンコクの景色を眺めていた。

〜2015タイ編終了〜
































11/09/2015

思索〜意識的である事〜

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朝目が覚める。カーテンの隙間から差し込む日差しが顔を照らしている。
昨日酒を飲み過ぎたからか、頭が痛い。

まだ半分寝ている体を起こして、コーヒーを湧かす。洗濯をしないといけない事を思い出して急いで洗濯機を回した。
熱いシャワーを浴びて、コーヒーを飲みながらゆっくりタバコを吸う。

今日も一日が始まった。いつもと変わらない朝だ。携帯をチェックしてメールを返す。

テレビを着けると芸能人が朝から元気に騒いでいる。
僕は今から仕事だ。何の為にやってるのか分からないけど、とにかく働かないといけない。そうだ、生活の為だ。

気づけばもう出ないといけない時間だ。同じ時間が流れているはずなのに朝は妙に時間が過ぎるのが早い。時間が幻想だって、何かの本で偉い奴が言ってたのを思い出す。

でも、今僕がその幻想に現実に追い立てられているのは間違いない。

新しい靴を履いて家を出た。いつものコンビニでコーヒーとタバコを買う。
習慣てのは恐ろしいもんで、もう何年も毎日朝はここでタバコとコーヒーを買ってる。
顔見知りの店員と挨拶を交わし、駅に向かう。
朝の駅ほど気分が滅入るものは無いかもしれない。

一番ゆっくりしたい時間に、混雑した場所で一番早い乗り物に乗るなんて馬鹿げてる。

イヤホンをはめて音楽を聞きながらSNSをチェックする。
電車の窓に映る自分を見て、自分がこんな顔だったのを確認した。

チャリンコで中学に通ってた時からもう10年も経ったのか。

そんな事を考えていたら、職場の最寄り駅に着いた。
いつまでこの仕事をするんだろうか。多分ずっとは無理だ。

職場に着くと見慣れた同僚達と挨拶を交わす。昨日と同じ光景、同じ匂い、同じ空気。
昼は何を食べようか、その前に仕事を片付けないといけない。

今日は暇だな。なんて思ってると洗濯物を干し忘れたのを思い出した。

あっという間に時間は経ち、もう夕方だ。帰ったら飲みながら録画したお笑い番組を見よう。帰りにスーパーでつまみでも買ってくか。

何か予定があれば良いけどそんなもんは無いし、そもそも金がないんだ。
週末も予定は無いしな。

サービス残業してる同僚を横目に僕は定時で帰る。給料以上に働くのは馬鹿げてる。
そういう奴が出世するんだろうな。いつから僕は努力できない奴になったんだっけ?
多分生まれた時からだ。

帰りの電車は朝よりきつい。人は少ないけど空気が。労働で疲れた奴隷達が死んだ顔で携帯とにらめっこ。お前ら馬鹿か。いや、僕もその一部だ。

家に帰って洗濯をし直して、シャワーを浴びて、つまみを作って酒を飲んだ。
このクソみたいな生活のささやかな癒しだ。
お笑いは大好きだ。笑ってる時は他の事は考えなくて済むから。

僕が売れっ子芸人だったらな。まぁ、あり得ないけど。

さぁ、そろそろ眠くなってきた。タバコを吸って寝よう。
ベランダにでてタバコに火をつける。向かいの家では家族がそろってご飯を食べてる。
空を見ると珍しく星が出ている。とても奇麗でしばらく見入っていた。


ここで気づく。あれ??いつの間にか一日が終わっている。朝ここでタバコを吸って始まった一日がもう終わっている。いつのまにか、今日が終わった。


僕らは一日6万の思考に支配されている。勝手に湧いてくる思考。
ずっとソレを追いかけて、気づけば目の前の景色はどんどん変わって、ふとした時に時間が進んでいた事に気づく。一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎる。
今日何をしたか、何を考えたか、ろくに覚えちゃいないのに。そしてある日ゾッとする。
もう、あれから10年も経ったのか、、、?

意識的であるべきだ。何も変わっていないようで全てが違う今この瞬間、目の前に全力で集中しているべきだ。自分が何がしたくて、何をしているのか忘れちゃいけない。
思考に流されたら、感情に流されたら、習慣に流されたら、いつの間にか人生は終わる。
未来を憂い、過去を悔やみ、そんな事をしてる間に今この瞬間は流れて行ってしまう。
僕らはいくつ歳をとろうと、どんな状況になろうと今しかない。今にしか居れない。
絶対に。思い描く未来は、今だ。一番かけがえの無いのは今だ。
とにかく今を生きるんだ。

て事を僕の疎い文章なんかより端的に、アランワッツが伝えていた。↓


時間に関する思索はまた今度。とにかく今。だって僕らが生きていられるのは今この瞬間、刹那のみだから。










11/08/2015

2013回想〜ガンジスと狂人とパレットと理解者〜

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「僕の言ってる事が分かるかい?本当に?」
アントニーは不安そうに何度も訪ねてくる。

「僕は友達って奴が居ないんだよ。ずっとだ。多分僕の頭がおかしいからだと思う。僕は絶対にパレットを洗わないんだ。こいつは歴史で、多分僕がキャンパスに描く絵よりも真実に近いと思うんだ。海よりもガンジスの方が神聖な気持ちになるだろ?そういう事なんだよ。」

アントニーの目は、不自然に光っている。顔つきは大人なのに目だけは生まれたての赤ん坊みたいに純粋無垢だ。そして同時に死んでいた。


2013年の夏、僕はインドの聖地バラナシにいた。刺激的だったインドにももう慣れてしまい、一日のほとんどをぼろ宿の屋上からガンジスを見ながらぼーっとする事に費やしていた。

ガンジスに昇る朝日は特別だ。誰だってあれを見ればバラナシが聖地と言われる所以が分かるはずだ。生活排水が流され、人間や動物の死体が浮かぶ汚いただの川が、朝日が昇る瞬間と日が沈む時は聖なる川に変わる。向こう岸には不浄の地が広がり、ガートで沐浴をする人達は祈りを捧げる聖者のごとく光っている。

アントニーはある朝突然やって来た。

「やぁ、何を見てるんだい?」
椅子に座りただ川の流れを見つめていると、僕の視界が突然人影で塞がれた。
上を見ると白人の男が僕を見下ろしている。

「何って、ただ川を見てただけだよ。」
変な奴だな、そう思いながら返事をするとアントニーは僕の隣に座って消え入りそうな声で、そうか、と一言つぶやいた。

インドを旅していれば変わった奴、もっと言えば頭のおかしい奴には日常的に出会う。
アントニーはその中でもとびきりおかしな奴だった。

アントニーはいつも同じ服を着ていた。シャワーを浴びるのにやたらと時間をかけるのにシャツはいつも同じぼろぼろのやつを着ていた。
アントニーは絵描きで、毎日同じ絵を描いていた。風景画の様な、抽象画の様な、何を描いたのか一見しただけでは分からない絵だった。

一度どこの風景を描いているのか訪ねると、子供の様に拗ねた様子で

「違うよ、これは人物画だよ。でも誰って訳じゃない。ただ人間を描いてるんだ。」

そう言って少し悲しそうな顔をした。

アントニーはロシア出身で、6年も前から一年の半分をインドで過ごしているらしい。
アントニーの親は貿易で成り上がった金持ちで、アントニーが絵描きとして活動している事を良しとしなかった。そして6年前、定職に就かず絵ばかり描いているアントニーは見放され、大金を渡され家を勘当された。
アントニーはその後旅に出ようと思い立ち、旅の途中立ち寄ったインドに魅了され毎年通う事になったらしい。

その日出会った僕らは何故かその後数日間一緒に過ごす事になった。
彼は僕より年上だったけど、僕らの関係は僕が兄で彼が弟みたいだった。

彼は僕が行く所に着いてきて、僕と同じ事をした。
金はあるはずなのに、僕が食べる現地の大衆レストランの安い飯を食べ、僕が買う安いガンジャを一緒に吸った。

アントニーは気分屋をかなり通り越した情緒不安定で、絵を描いている時に話しかけると迷惑そうに話しかけるなと言ってくるくせに、僕が一人で出かけたいというと今日死んでしまうくらい極端に落ち込んでいた。いつも同じシャツを着ているアントニーにいらなくなった僕のシャツをやるとガッツポーズをして喜んでいた。

僕らはいつも訳の分からない会話をしていた。もしガンジスが地球の血管だとしたら僕らは赤血球かそれとも白血球か、いや僕らはガンジスの中に居る訳じゃないから筋繊維の細胞の一つなんじゃないかとか、世界で一番美しいものは一番汚くて醜いものなんじゃないかとか、とにかく答えの無い抽象的な話を繰り返ししていた。
そんな訳の分からない会話が妙に居心地が良くてアントニーと過ごすだらだらした時間を僕も気に入っていた。

彼と過ごす数日はあっという間に過ぎていった。
僕が明日ネパールに向けて出発するという日の前の晩、いつもと同じ様に屋上で寝そべって月を見ながら話していた。

「僕はね、自分がおかしいって事はちゃんと分かってるんだ。どう考えたって周りと違い過ぎるから。でも、僕はおかしいのは僕以外なんじゃないかって思うんだ。だってそうだろ?何が正常かなんて分からないまま多数決をして、たまたま少数派だったのが僕なだけで、本当は僕が正常かも知れない。いや、多分全部間違ってるんだ。でもそれはそれで全部完璧なんだよきっと。僕の言っている事が分かるかい?」

アントニーは何か話す度に、僕が話の内容を理解しているか確認してきた。
僕が理解しているというととても安心した顔をする。

「僕の話はあんまり理解されないんだ。すごく当たり前の事を話しているつもりなんだけど、国の連中は僕の事を薬で頭がおかしくなった奴だって言って避けてくるんだ。でもね、僕は僕が本当の事を言ってるって思ってる。確かに多少頭はやられてるかもしれないけど、僕は本当に美しい物を見た事があるんだ。それは全部で、同時に一部なんだ、僕はそれをキャンパスに描こうと思ってる。でもいっつもパレットには勝てないけどね。」

今までで一番しっかりした口調で、はっきりと話すアントニーは別人の様に見え、僕が不安感を感じてしまうくらいに必死に伝えようとしていた。
アントニーの話は止まらない。

「つまりさ、僕がこうやって話して君が聞いている、ってことは君が僕に話してるってことでもあるんだ。ほら、僕がこうやって左右の手を組むだろ、僕らが出会ってこうやって話している事は、これくらいの事なんじゃないかって思うんだよ。実は何にも変わらないんだ。それが完全に分かった時に、僕は今までで一番奇麗な絵が描ける気がするんだ。分かるかい?君はきっと分かってくれるだろうな、こんな風に長く自分の思う事を正直に話したのは久しぶりだよ。前にいた病院で看護婦に話した時は興奮しすぎてすぐに鎮静材を打たれたけどね。いや、別に君が理解していなくたっていいんだ、だって本当は理解してるってことは僕が分かってるんだから。あぁ、今日は本当に気分がいいな。こうやって理解し合えるのは本当に気分がいいよ。」

アントニーはとても気分がいい様子でジョイントを吸っている。

僕は僕で当時精神世界の探求にのめり込んでいて、今よりも更にスピリチュアルに傾倒していたし、そういう内容の本を読みあさっていたからアントニーの言う事も多少は理解できたけど、彼と彼の話はぶっ飛びすぎていた。英語に疎い僕でも分かるくらいに話題は飛びまくるし、抽象度が高すぎて頭が追いつかない。
ただその分からなさが、気持ちよかった。

アントニーの話がひととおり終わり、明日出発の僕は先に寝る事にした。
屋上から部屋に戻る時に見たアントニーは月明かりに照らされながらじっとガンジスを見つめていて、とても奇麗だった。

その日は良く眠る事が出来た。
最後に一緒に朝食を食べようとアントニーを探すと、アントニーは部屋にも屋上にも居なかった。
枕元に一枚のメモが置いてある。

”僕も今日移動する事にする。僕はSNSをやってないから連絡先は交換できないけど、きっとどこかでまた会うと思う。その時までに僕が見た一番美しいものを絵にしておくよ。
君と知り合えて良かった。君がくれたシャツは大切にするよ。
君が良い旅が出来る事を祈ってる。これは君の心の旅のお供に。”

メモと一緒に小さな紙切れと食べかけのチョコレートが置いてあった。

彼は本当に描きたい絵が描けたんだろうか。今もインドを放浪しているんだろうか。
たった数日しか一緒に居なかったけど、僕は今もこの愛すべき狂人の事を思い出してしまう。










11/05/2015

楽園と人間と心(フィクション)

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「ここで止めて。」
ワタルが通じるはずの無い日本語でタクシー運転手に話しかけた。
何故通じたかは分からないが運転手は理解したらしく車は止まった。荷物を降ろし、二人で歩く。楽園はすぐそこだ。

その場所は日本の田舎の様な場所で、背の低い民家が立ち並ぶ住宅街だった。
大きな仏塔の脇を通り抜け、街灯もない夜道を歩く。この数時間で沈黙が苦痛に感じない程度の関係を築いていた僕らは特に会話する事も無く黙々と歩く。
二人の足音だけが静かに響いている。

「ここっすね」
ワタルが立ち止まった。住宅街の一角、他の家とは明らかに質の違う木で出来た外壁が現れた。高級ログハウスの様な雰囲気のその場所は、普通の家が建ち並ぶこのエリアで明らかに浮いていた。

僕らは楽園にたどり着いたらしい。ドアを開け敷地内に入ると、想像どうりログハウスが現れた。敷地の右手に9つのゲストルームがあり、左側には二階建てのリビングスペースが有る。リビングスペースには壁が無く南国の家の様な雰囲気だ。
建物内と庭の至る所に植物とオブジェ、絵画などのアートが飾られている。他にも、サイケデリクスを接種した時の視覚効果に配慮したと思われる蛍光色に光る石や、宗教関係の置物が置かれており、リビングスペースの本棚には、ビーヒアナウやチベット仏教死者の書、ティモシーリアリーやオルダスハクスリーなどのニューエイジ系から素粒子物理学の本まで幅広く置かれている。

敷地内全体がヒッピー的生活を前提とした作りになっていて巨大なチルスポットのようだ。一体この空間を作り上げたのはどんな人物なのか、どんな奴らが滞在していてどんな生活をしているのか、疑問と興味が一気に湧いてくる。

「オーナー呼んでくるっす。」
ワタルが二階に上がって行った。しばらくするとワタルがオーナーを連れて降りてきた。
オーナーはT氏という50代の男で、インテリがヒッピーカルチャーに傾倒しそのまま歳をとった感じ、とでも言おうか、要するにモロな雰囲気の男だった。上下ともに麻生地で作られている緩い服を着て首にはネイティブ風のネックレス、髪は短髪だが襟足に一本だけドレッドが編まれている。
T氏は深夜の訪問客である僕を怪訝そうな目つきで見ている。
苦手なタイプだ、目が合った瞬間にそう思った。

怪しむT氏の様子を気にするでも無くワタルは僕の事を紹介する。
深夜のカオサンでたまたま会って意気投合した事、この場所の事を話して来る事になった事、僕がいかにロックか。(ワタルの個人的な感想で、僕自身は全くロックではない。)

ワタルの紹介が終わるとT氏はやっと了解したようで部屋を案内してくれた。
やはり話すとさっき感じた苦手な印象が少しづつ間違っていなかった事が分かってくる。

T氏は曖昧なやり取りを許さない。何気ない会話の言葉尻をとらえて、追求してくる。僕がどうでもいい事と判断する事をT氏は良しとしない。

何故そんな事の正確さにこだわるのかと思う所で会話が止められ、キャッチボールがスムーズにいかない。なによりT氏は会話の時に僕の心の裏を見るように目を見つめてくる。心を見透かされているようで居心地が悪い。いら立ちを隠しながらT氏の説明を受け、他の住人を紹介された。

僕とワタル以外は4人の住人が居て、俳優、音楽プロデューサー、ウェブデザイナー、一人旅でアジアを廻っているDJ,皆僕よりも年上で見た目も肩書きも変わっている奴ばかりだった。2階のリビングスペースに行くとガンジャの匂いが立ちこめていて、テーブルの上には巨大なボング、灰皿にはローチが山積みだ。スピーカーからは民族音楽が流れている。

僕に気づくとテーブルを囲んでいた4人が一斉に半開きの赤い目を向けてくる。T氏同様に住人達も深夜の訪問客である僕を怪しむ目つきで見つめてくる。
気まずい空気を感じていると、ワタルが僕の紹介を始めた。ワタルは空気を気にしない。というよりも鈍感と言ったほうが正解だろう。場にそぐわない高めのテンションで僕の紹介を終えると席に着いてバッズを砕き始めた。人間関係における感度はそのまま生きる上での難易度と比例する。空気を読みすぎる事は言動、行動の制限につながるからだ。

遅れて2階に上がって来たT氏が席に着き声をかけてきた。

「君ジョイント巻けんの?巻いてみてよ。」

試す様な言い方だ。
おいマジで言ってんのか?今まで何本巻いてきたと思ってる?あんたより上手く早く巻けるよ。下らない僕の小さなプライドが叫んでいる。こういう場ではいかに上手くジョイントを巻けるかなんてクソみたいな事がステータスになったりする。要は僕がこの小さな世界でどれくらいのレベルか見たいらしい。

僕はふわついている心を落ち着ける様にジョイントを巻く事に集中した。
バッズを砕くときは細かすぎず雑にならず、クラッチは丁寧に作る、巻くときは裏巻きで素早く。キレイなジョイントが巻けた。
出来上がったジョイントを渡すとT氏の中での僕の値踏みが終わったらしく「ふーん。」と一言言って火を着けた。

ジョイントが廻る、誰かが吸う、誰かが巻いている。
僕は未だに居心地の悪さを感じていた。久しぶりのマリファナはかなり効いていた。
ジョイントは次々に廻ってくるけど、断る事はしない、落ちるなんてもってのほかだ。小さなプライドを守るため重くなった瞼を必死に持ち上げていた。

スピーカーから流れる民族音楽に意識が持っていかれる。
旅をしていると良くある事だが僕は複数人との初対面が苦手だ、さらにマリファナを吸うと敏感になってしまい、誰かの言動の一部分が妙に気になったり、僕の悪い癖である他人からどう見られているのか、という思考がより強くなり無意識的に自分を取り繕おうとして不自然さに拍車がかかる。リラックスできないのだ。

会話に入っていけない。こういう時にただハイになって何も気にせず話が出来る奴をうらやましく思う反面、何も考えていない奴だと思ってしまう。
僕以外が馬鹿なのか、僕だけが馬鹿なのか、多分どちらでもないんだろう。

煙は止まる事無く室内を揺らめいている。
僕は会話に参加する事を諦め、また自分について考えていた。

「人間の悩みは全て人間関係に帰結する、そして人間関係で傷つかないことは基本的にあり得ない。」

数日前に読んだアドラー心理学の一説が頭に浮かんだ。そうだ、僕は人間関係で悩んでいる。

僕は認められたいのだ。いつも何処でも、自分が存在している事を、その価値を誰かに認められていたい。今この瞬間感じている居心地の悪さは自分が認められていない様な気がして自分の価値を否定されている気がして安心出来ていないのだ。今まで認められる為、存在を許されるため、いつも僕は何者かであろうと仮面を被っていた。場所によって、人によって、自分を変えることは精神的な疲労を伴い、次第に人に会う事を避けるようになっていった。

ありのままの、そのままの僕は優等生で精神的に弱く、人目が気になり、プライドが高く、自分を信じる事が出来ないださい奴なのだ。人と違う生き方がしたい、特別でありたい、そう思いつつも心の奥底で皆と一緒である安心感を求めている。そして何よりも問題なのはそんな自分を受け入れる事が出来ていない事だ。

これを乗り越えて心の安楽を手に入れる為には全てを諦めるか、今この自分を完全に受け入れるしか無い。自分を知り、自分と向き合う事は旅のテーマの一つで、こういう事を望んでいたはずが、いざ自分の見ない様にしていた部分と向き合わされると直視する事が出来ず、気づけば完全にバッドトリップに陥っていた。

そんな僕の心の内を見透かした様にT氏は時折意味深な視線を向けてくる。
強い視線、まるで僕が嘘つきでたった今裁判にかけられている様な気になってくる。T氏はよく人間を見ている。苦手な感じの正体はこいつだ。

「それで本当のお前はどうなんだよ?」

そう言われているようで仮面を持つ手が震えているんだ。


「エソン君、ヤバい映像PCに入っているんで部屋で見ましょうよ。」

会話も続いているし、どう考えてもおかしいタイミングでワタルが僕を誘ってきた。ワタルは僕が会話に入れていなかったから、なんて理由で僕を誘う様な奴じゃない。ただ今このタイミングで、見たい映像があって興味を持ちそうな僕を誘った。ただそれだけの事だ。それでもこの時はワタルに救われた。あれ以上あの輪の中で気を張りながらやり過ごす事はしたくなかった。僕らは皆に部屋に行く事を告げてワタルの部屋に行った。

PCからワタルの好きな日本のロックバンドの古いライブ映像が流れている。
刺青だらけの男が腕に注射器を指したままギターを弾いている。
ワタルは隣でいびきをかいている。

僕は抜けきらないマリファナの効果を感じながらまた同じ事を考えていた。
なぜ僕はありのままでいれないんだろうか、僕のありのままとは何なんだろうか。
物心ついた頃から感じている集団の中で感じる疎外感、人の目を気にする事、その無意味さも分かっているのに僕の反応はいつも同じで同じ所をループしている。

何時間経っただろうか、部屋の外に出ると朝日が昇っていた。庭の植物が朝日に照らされ朝露で煌めいている。

同類の人間を求め起こした環境の変化は更なる苦悩を運んできた。
ワタルは幸せそうに眠っている。

僕が見るべきなのは天井のファンでも、ロックバンドでも、女の体でもないらしい。
やはりこの複雑怪奇な自分自身みたいだ。

皆が寝静まった楽園のハンモックに寝そべって新しいジョイントに火を着けた。




















11/01/2015

僕とロックと未来のヒーロー(フィクション)

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この日も僕は一人だった。
もうやる事も無ければ、何かをやる気も起きなくなっていた。
日の当たらない安宿のベッドに寝転び天井を見つめていると、もうここから動き出せない様な気がしてくる。何の為に海外に出てきたのかさえ忘れてしまいそうだ。創作もしていないし、文章も書いていない。

ここにいてはダメだ、宿を変えよう。
そう決めてすぐにバックパックに荷物を詰め込んで部屋を出た。移動は心を軽くする事をこの数年で僕は学んでいた。言い換えれば逃げ癖が着いたのかもしれない。

数日ぶりにバックパックを担いでカオサンロードを歩く。すれ違う旅行者達を見ていると僕以外全員カップルか家族連れなんじゃないかと思えてくる。早く歩かなければこの空気に絡めとられて動けなくなりそうだ。

新しく選んだ宿はカオサンロードをチャオプラヤ川方面に抜けた先にある、有名な日本人宿だ。とにかく、話がちゃんと通じる誰かと会話がしたかった。

きっと僕と気が合う奴がいて今夜は飲みに出かけるだろう。この孤独感も嘘みたいに消えるはずだ。全てを忘れて下らない話で笑おう。

そんな希望は一瞬で打ち砕かれ、数時間後、僕は同じようにベッドに寝そべって天井を廻るファンを見つめていた。
確かに日本人宿だけあって数人の日本人が滞在していたが、僕とはタイプが違いすぎる奴ばかりだった。彼らとのお決まりのうすっぺらい会話を適当にやり過ごすと、部屋に引きこもった。
実際に何が違うのかは分からない。ただ、明らかに相容れない事は少し話しただけで明白だった。学生ノリの雰囲気や、希望に溢れすぎている旅人達の会話に着いていけない。
あれだけ人恋しかったのに、一人になりたいと思った。
僕は彼らとは違う、そんな風に思ってしまう。勘違いだって事も分かっているし、そんな風に気取っている自分を責めてもいる。どちらかと言えばおかしいのは僕で、端から見たら痛い奴なんだろうけど無理なものは無理だ。少なくとも今は。

何もしていなくても時間はあっという間に経ち、日が沈んだ。
僕は酒を飲みに行く事にした。そんなに強くない酒をここ数日毎日飲んでいる。
素面で過ごすには夜は長過ぎるからだ。

今日一日で体に染み付いた怠惰やネガティブの匂いを落とすようにシャワーを浴びて、新しいシャツを着て街に出た。
行き先はここ数日通っているレゲエバーだ。その店はカオサンの裏通りにあって、怪しい雰囲気が漂っている。小さな店で席は10席ほどしかなく、一風変わった奴らが集まっている。この店は大きなスピーカーが置いてあって、クラブに近い音量で音楽が聴けるのがお気に入りの理由だった。

ここ数日ですっかり顔見知りになったオーナーと挨拶を交わし、席についてビールを飲んだ。

この日はライブの日らしく、カウンターの前でドレッドの男が歌っている。
彼がアコースティックで歌うボブマーリーが最高にかっこ良くて僕の酒も進む。
店内の客は僕一人で、一対一の贅沢なライブだ。曲の合間に彼と会話する。
彼はフランス出身で、ギターを持ってレゲエを歌いながら世界を旅していたらしい、そして途中で行き着いたバンコクが気に入り、今はバンコクに住んでレゲエシンガーとして活動している。

彼に君の歌が好きだ、と伝えると何かリクエストはあるか?と聞いてきた。
君のオリジナルが聞きたい、出来れば明るい気分になるやつがいい、そう言うと男はウインクしてギターを弾きだした。
男がドレッドを揺らしながらギターの弦をはじく。

「中東じゃ人が殺し合っている、アフリカで飢餓で死ぬ奴がいる、誰かが病気で苦しんでいる、ニューヨークはジャンキーの墓場だ。俺はいつも笑ってる、最後に俺が死ぬときは、タイマッサージを受けながら極楽気分で死んでいく。なにがあっても笑っていれば、俺はいつでもハッピーなんだ。」

曲も彼も盛り上がっていき、僕も自然と体が揺れる。少しふざけた彼の歌詞が心を明るくしてくれる。人間の幸、不幸は本人次第で、絶対の条件があるわけではないはずなのに僕らは曖昧な物差しでそれを計ろうとする。
何があっても笑っていられる男になりたいと思った。

ライブで感動したのは久しぶりだ。手が痛くなるほど拍手を送った。
僕らはレッドストライプで乾杯して、もう一度彼にボブマーリーをリクエストした。


Get up stand up が終盤にさしかかった時、一人の客が入って来た。
そいつはアジア系で、ぼろい服に女みたいな黒の長髪、目つきが悪く赤く充血している。
見た目は全く違うけど僕と同じ匂いがした。

「もしかして日本人ですか?」
僕がボブマーリーに聞き入っていると話しかけられた。急に聞こえてきた日本語に少し驚き隣を見ると、奴が充血した細い目をこっちに向けている。

「そうだけど」
僕が無愛想に答えると、そんな僕の態度はおかまいなしに奴は僕の席にやって来て自己紹介を始めた。

そいつの名前はワタル(仮名)で、歳は19歳とかなり若い。見た目からは信じられないがまだ学生らしく、夏休みに旅行でタイに遊びにきたらしい。少し話して僕らは意気投合した。ワタルは見た目どうりに生意気で、敬語もろくに使えない奴だ。本来なら嫌いなタイプのはずが何故か僕らは仲良くなった。

僕も自己紹介し、日本で何をしていたか、何故旅に出たか、ここ数日の事や今日感じた憤りまで話した。酒の力も手伝って僕はいつもより饒舌になっていた。

ワタルが細い目を見開いて言った。
「めちゃくちゃロックっすね。俺も学校終わったら海外に出ようと思ってるんスよ。日本つまんないし。息苦しいっすよ。そんな感じっすね。」

僕がロックかどうかはさておき、ワタルの判断基準はロックかロックじゃないか、それが全てらしい。
ノエルギャラガーをリスペクトしていて携帯の待ち受けは山口富士夫の写真だった。
僕はますますこいつが気に入った。僕は馬鹿で変な奴が好きだ。

「そういえば、こっちで何かゲットしました?」
ワタルがニヤつきながら聞いてきた。好き者同士だから通じる主語のない会話。
何を?なんて野暮な質問は無しだ。

「いや、バンコクは今厳しいから探してもないよ。」
当時のバンコクは爆破テロの直後で街には警察が溢れていたし、数年前からカオサン近辺はプッシャーと警察が手を組み、プッシャーから買うと直後に警察が現れ見逃す代わりに大金を要求されるという手口が流行っているという話を聞いていた。
そんな状況でリスクを冒すほど僕はジャンクじゃない。それでもワタルの質問に少し胸が高鳴ったのは、僕が心のどこかで求めていたからだろう。

「そうなんすか?俺余裕でしたけどね。てゆうかテロとかあったの知らなかったっす。まぁ知ってたとしても関係ないっすね。今すげぇいい所に泊まってるんで。マジヤバいっすよ。」

僕はワタルのこの話に食いついた。聞けばワタルはカオサンから車で1時間ほど離れた所にある宿に泊まっているらしく、そこは軽井沢の別荘のような雰囲気で、オーナーがモノを売ってくれる上に宿泊費も安く、口コミで好き者が集まる、僕らみたいな人間にとっての楽園らしい。

「絶対来た方がいいっすよ。今いる人達も面白い人ばっかりだし、音楽も爆音で聞けるし、てゆーかこの情報が入った時点で呼ばれてますね。」

人は自分に必要な事以外は目の前に現れない。僕はそう思っている。そういう意味でワタルの言っている事はもっともだ。この時点で時間は深夜、僕が宿にチェックインしてから数時間しか経っていなかったが、僕は迷う事無くワタルが滞在している宿に行くことにし、2人で急いで宿に戻って荷物をまとめた。ベットで天井を見つめていた時が嘘の様にテキパキとパッキングする。やっとここ数日間の流れが変わる、今必要なのは変化だ。

受付の男がたった数時間でチェックアウトすると言い出した僕の顔を不振そうに見つめる。自己紹介程度の会話しかしていない日本人達もキョトンとした顔で僕を見ている。

「エソン君、絶対ここは馴染めないっすよ。種類が違いすぎるっしょ。」
ワタルがヘラヘラ笑っている。
それは違うと思いつつも、自分が感じた彼らに対する違和感を肯定された気がして、少し安心した。おかしいのは僕だけじゃない。

宿を出た僕らはタクシーを拾って行き先を告げた。
現実は少しのきっかけで一瞬で動く。もしあのバーに行っていなければ、僕のタイでの思い出の大半は天井で廻るファンの光景になっていたはずだ。人生が映画だとするなら、ここ数日の僕の映画はクソつまらないアートフィルムの様なものになっていた。待ち人は新たな登場人物で、重要なシーンの切り替えに一役買った。

タクシーはスピードを上げカオサンが遠のいていく。
街の至る所で警察が検問を張っていて、前方100メートルの距離で警察が待ち構えている。

「あー、今止められたらだるいっすね。」
ワタルの貧乏揺すりがテンポを上げる。僕はかぶっていたフードを脱ぎ、笑顔で警察に挨拶した。声をかけられたくないときはこっちからかけてやればいい。
僕の作戦は的中して、車は止められる事無く検問を通過した。

タクシーは順調に走り、バンコクの町中から郊外に向けて走っている。

「俺思うんですけど、世の中が悪くなる方がいいアーティストが出てくると思うんですよね。ボブマーリーもジョンレノンも、ピストルズも世の中が荒れてる時に出てきてるんですよ。バンコクもこんな感じだからもしかしたらヤバい奴出てきますよ。日本も最近デモとかあるしヒーロー出るかもっすね。まぁでも日本は骨のある奴いなそうだから俺がなってやろうかなって思うっす。そんな感じっすね。」

ワタルが窓の外を見ながら夢を語っている。

僕は適当に相づちを打ちながらワタルが渡してきたエリミンを舐めていた。

タクシーは未来のヒーローと僕を乗せて楽園に向かう。