11/08/2015

2013回想〜ガンジスと狂人とパレットと理解者〜

No comments :
「僕の言ってる事が分かるかい?本当に?」
アントニーは不安そうに何度も訪ねてくる。

「僕は友達って奴が居ないんだよ。ずっとだ。多分僕の頭がおかしいからだと思う。僕は絶対にパレットを洗わないんだ。こいつは歴史で、多分僕がキャンパスに描く絵よりも真実に近いと思うんだ。海よりもガンジスの方が神聖な気持ちになるだろ?そういう事なんだよ。」

アントニーの目は、不自然に光っている。顔つきは大人なのに目だけは生まれたての赤ん坊みたいに純粋無垢だ。そして同時に死んでいた。


2013年の夏、僕はインドの聖地バラナシにいた。刺激的だったインドにももう慣れてしまい、一日のほとんどをぼろ宿の屋上からガンジスを見ながらぼーっとする事に費やしていた。

ガンジスに昇る朝日は特別だ。誰だってあれを見ればバラナシが聖地と言われる所以が分かるはずだ。生活排水が流され、人間や動物の死体が浮かぶ汚いただの川が、朝日が昇る瞬間と日が沈む時は聖なる川に変わる。向こう岸には不浄の地が広がり、ガートで沐浴をする人達は祈りを捧げる聖者のごとく光っている。

アントニーはある朝突然やって来た。

「やぁ、何を見てるんだい?」
椅子に座りただ川の流れを見つめていると、僕の視界が突然人影で塞がれた。
上を見ると白人の男が僕を見下ろしている。

「何って、ただ川を見てただけだよ。」
変な奴だな、そう思いながら返事をするとアントニーは僕の隣に座って消え入りそうな声で、そうか、と一言つぶやいた。

インドを旅していれば変わった奴、もっと言えば頭のおかしい奴には日常的に出会う。
アントニーはその中でもとびきりおかしな奴だった。

アントニーはいつも同じ服を着ていた。シャワーを浴びるのにやたらと時間をかけるのにシャツはいつも同じぼろぼろのやつを着ていた。
アントニーは絵描きで、毎日同じ絵を描いていた。風景画の様な、抽象画の様な、何を描いたのか一見しただけでは分からない絵だった。

一度どこの風景を描いているのか訪ねると、子供の様に拗ねた様子で

「違うよ、これは人物画だよ。でも誰って訳じゃない。ただ人間を描いてるんだ。」

そう言って少し悲しそうな顔をした。

アントニーはロシア出身で、6年も前から一年の半分をインドで過ごしているらしい。
アントニーの親は貿易で成り上がった金持ちで、アントニーが絵描きとして活動している事を良しとしなかった。そして6年前、定職に就かず絵ばかり描いているアントニーは見放され、大金を渡され家を勘当された。
アントニーはその後旅に出ようと思い立ち、旅の途中立ち寄ったインドに魅了され毎年通う事になったらしい。

その日出会った僕らは何故かその後数日間一緒に過ごす事になった。
彼は僕より年上だったけど、僕らの関係は僕が兄で彼が弟みたいだった。

彼は僕が行く所に着いてきて、僕と同じ事をした。
金はあるはずなのに、僕が食べる現地の大衆レストランの安い飯を食べ、僕が買う安いガンジャを一緒に吸った。

アントニーは気分屋をかなり通り越した情緒不安定で、絵を描いている時に話しかけると迷惑そうに話しかけるなと言ってくるくせに、僕が一人で出かけたいというと今日死んでしまうくらい極端に落ち込んでいた。いつも同じシャツを着ているアントニーにいらなくなった僕のシャツをやるとガッツポーズをして喜んでいた。

僕らはいつも訳の分からない会話をしていた。もしガンジスが地球の血管だとしたら僕らは赤血球かそれとも白血球か、いや僕らはガンジスの中に居る訳じゃないから筋繊維の細胞の一つなんじゃないかとか、世界で一番美しいものは一番汚くて醜いものなんじゃないかとか、とにかく答えの無い抽象的な話を繰り返ししていた。
そんな訳の分からない会話が妙に居心地が良くてアントニーと過ごすだらだらした時間を僕も気に入っていた。

彼と過ごす数日はあっという間に過ぎていった。
僕が明日ネパールに向けて出発するという日の前の晩、いつもと同じ様に屋上で寝そべって月を見ながら話していた。

「僕はね、自分がおかしいって事はちゃんと分かってるんだ。どう考えたって周りと違い過ぎるから。でも、僕はおかしいのは僕以外なんじゃないかって思うんだ。だってそうだろ?何が正常かなんて分からないまま多数決をして、たまたま少数派だったのが僕なだけで、本当は僕が正常かも知れない。いや、多分全部間違ってるんだ。でもそれはそれで全部完璧なんだよきっと。僕の言っている事が分かるかい?」

アントニーは何か話す度に、僕が話の内容を理解しているか確認してきた。
僕が理解しているというととても安心した顔をする。

「僕の話はあんまり理解されないんだ。すごく当たり前の事を話しているつもりなんだけど、国の連中は僕の事を薬で頭がおかしくなった奴だって言って避けてくるんだ。でもね、僕は僕が本当の事を言ってるって思ってる。確かに多少頭はやられてるかもしれないけど、僕は本当に美しい物を見た事があるんだ。それは全部で、同時に一部なんだ、僕はそれをキャンパスに描こうと思ってる。でもいっつもパレットには勝てないけどね。」

今までで一番しっかりした口調で、はっきりと話すアントニーは別人の様に見え、僕が不安感を感じてしまうくらいに必死に伝えようとしていた。
アントニーの話は止まらない。

「つまりさ、僕がこうやって話して君が聞いている、ってことは君が僕に話してるってことでもあるんだ。ほら、僕がこうやって左右の手を組むだろ、僕らが出会ってこうやって話している事は、これくらいの事なんじゃないかって思うんだよ。実は何にも変わらないんだ。それが完全に分かった時に、僕は今までで一番奇麗な絵が描ける気がするんだ。分かるかい?君はきっと分かってくれるだろうな、こんな風に長く自分の思う事を正直に話したのは久しぶりだよ。前にいた病院で看護婦に話した時は興奮しすぎてすぐに鎮静材を打たれたけどね。いや、別に君が理解していなくたっていいんだ、だって本当は理解してるってことは僕が分かってるんだから。あぁ、今日は本当に気分がいいな。こうやって理解し合えるのは本当に気分がいいよ。」

アントニーはとても気分がいい様子でジョイントを吸っている。

僕は僕で当時精神世界の探求にのめり込んでいて、今よりも更にスピリチュアルに傾倒していたし、そういう内容の本を読みあさっていたからアントニーの言う事も多少は理解できたけど、彼と彼の話はぶっ飛びすぎていた。英語に疎い僕でも分かるくらいに話題は飛びまくるし、抽象度が高すぎて頭が追いつかない。
ただその分からなさが、気持ちよかった。

アントニーの話がひととおり終わり、明日出発の僕は先に寝る事にした。
屋上から部屋に戻る時に見たアントニーは月明かりに照らされながらじっとガンジスを見つめていて、とても奇麗だった。

その日は良く眠る事が出来た。
最後に一緒に朝食を食べようとアントニーを探すと、アントニーは部屋にも屋上にも居なかった。
枕元に一枚のメモが置いてある。

”僕も今日移動する事にする。僕はSNSをやってないから連絡先は交換できないけど、きっとどこかでまた会うと思う。その時までに僕が見た一番美しいものを絵にしておくよ。
君と知り合えて良かった。君がくれたシャツは大切にするよ。
君が良い旅が出来る事を祈ってる。これは君の心の旅のお供に。”

メモと一緒に小さな紙切れと食べかけのチョコレートが置いてあった。

彼は本当に描きたい絵が描けたんだろうか。今もインドを放浪しているんだろうか。
たった数日しか一緒に居なかったけど、僕は今もこの愛すべき狂人の事を思い出してしまう。










No comments :

Post a Comment