11/26/2015
シェアハウスという不思議な環境
オーストラリアに到着した僕は、数日をバックパッカーズ(ドミトリースタイルのホテル)で過ごしていた。しかし、物価の高いオーストラリアにおいて、いくらバックパッカー用の安宿と言えど、乏しい資金で渡豪してきた僕にはホテルの宿泊費は高すぎた。ワーキングホリデーでオーストラリアに来ている人間にとって主流の形はシェアハウスに住む事だ。アパートや一軒家を数人でシェアして生活する形で、家賃もホテルに泊まるよりは安く抑えられる。
バックパッカーズの宿泊費を払う事に限界を感じた僕はシェアハウスを探し始めた。
まだ来たばかりだから、家賃が安いから、情報を集める必要があるから、そんな言い訳を自分にして、日本人がオーナーを務め、日本人ばかりが住んでいるシェアハウスに焦点を絞って探した。海外の人間と触れ合う事で国際感覚を身につけるはずが、気づけば僕は言葉が満足に通じる安心感を求めていた。
ネットで見つけた数人のオーナーに連絡し、一番早く返答があったシェアハウスに住む事に決めた。
その家は僕の認めたく無い欲求どうりに、住人は日本人ばかりで、英語を使う必要が一切無い、言ってしまえば程よい温度のぬるま湯だった。
しかし、僕を含めた日本人計七人が住むその家は国際感覚こそ磨かれないが、いくつかの新鮮な体験を与えてくれた。
シェアハウスは不思議な空間だ。
日本で普通に生活していれば、出会ったとしても絶対に友達になる事は無い様な全くタイプの違う人間達が、生活を共にし、自動的に家族化させられていく。
仲のいい友人同士で一緒に住むのとは訳が違う、新鮮な体験だ。
最初は遠慮がちに触れ合っていても、自分の部屋が無い同じ家で寝食を共にしていくうちに壁が無くなり、いつしか家族の様になっていく。
そもそも、一人で生活している期間が長い僕からすると、家に自分以外の誰かが居る事自体が異常事態だ。
それを一番意識させられたのが、音だった。
誰かが洗濯機を回している。誰かがコーヒーを湧かしている、いびきをかいている、誰かが電話で話している、朝鳴るアラームの音、シャワーがお湯を吐き出す音、誰かがかける音楽、足音、今まで自分が出す音のみだった僕の生活空間が急に様々な音で彩られた。
それは不快で、ストレスで、同時に癒しで安心だった。
一人になりたい時、静かに過ごしたい時、集中したい時、同居人達の存在を煩わしく感じる。寂しい時、誰かと話したい時、落ち込んでいる時、いい気分を分かち合いたい時、彼らは僕を癒してくれる。
そして結果的に、時間は何もかもが違う僕らの境界を薄くし、一つ屋根の下で暮らす事が当たり前になっていった。
「おかえり」、「ただいま」僕にとって当たり前じゃなかったやり取りが自然なものになった。
誰かの誕生日を祝う、皆で酒を飲む、皆で料理をする、あいつに朝起こしてもらう、あいつを朝起こしてやる、あいつとあいつが恋に落ちた、あいつが落ちこんでいる。
仲のいい友人以外はどうでもよかった他人の人生の出来事が、僕にとっての出来事になり、僕の人生に起きる出来事が彼らに共有される。
遊ぶのが好きでジャンクな僕と、一日中勉強しているあいつが、ベランダで星を見ながら人生を語り合う。
浪費家の僕と倹約家のあいつが一緒に買い物に出かけて同じ物を買う。
女好きな僕と男性不振のあの子が一緒に夕飯を作る。
まだ若いあいつと僕が意見をぶつけ合う。
人間の親密度は会う回数に起因する。いつか本で読んだ事が完全に腑に落ちた。
あり得ない確率で出会った、年齢も出身も、バックボーンも、趣味も、とにかく何もかもが違う僕らが家族同然になった。
この経験を経て僕の中で確信に変わった事が在る。
人生に訪れる出会いは必然だ。確実に出会うべくして出会っている。それが例えどんなに気に食わない奴でも、どんなに自分と合わなそうな奴でも。
出会いと人間関係の不思議を感じながら、今日も僕はあいつのいびきをBGMに眠りにつく。
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